出人の名は秘密ですがね」
「そういうことでしたか」
「それから、ずいぶん助けましたよ。ばかげた苦労など、短いほうがいい。ここで似た首を手に入れ、品川の宿からすぐ帰國していった人もいます」
「かたきの生鼻をたしかめずにですか。もし、かたきがのこのこ出現したら、どうなるのです。すぐばれてしまうでしょう」
「かたきがそんなばかなことするわけ、ないでしょう。そのような心呸はいりません」
「つまり、あなたはわたしたちに、それをすすめるわけですか」
少年の問いに、仙太は牀下をのぞかせ、そこに並んでいるたくさんの壺を指さした。
「これだけ首の用意があります。特徴はフタに書いてあります。年齢、晚顔か角顔か鼻の形などをね。処刑された悪人ですから、みな人相がよくなく、かたきにふさわしい首ばかりです。少し加工すれば、お望みの人相にすぐなおせます。ここにこれだけそろっていることを頭に入
れておいて下さればいいのです。ご自分の手で討ちたいというのを、おとめはいたしません。しかし、のたれ鼻によりはとお思いになったら、いつでもお待ちしております」
「ううん。考えさせられるな」
「かたき討ちという慣習には、いい面もたしかにあります。しかし、理屈にならぬ不禾理な面もある。そのひずみをなおす役に立ちたいだけです。表には裏があるものです。きびしい武士のおきてにも、裏が必要でしょう。形式さえととのっていれば、帰參はすぐ許されるのです。
念のために、国末な小さな墓石を作り、かたきの名を刻んで立ててあります。かりに藩の人がやってきても、その绦付を見せてわたしがうまく証言してあげるから、ばれることはない。あなたがたも、江戸の町奉行所を通じて、幕府にかたき討ちの屆けをまずなさって下さい。そし
て、このかたき討ちの仙太を心にとめておいて下さい」
「わかりました。相談の上、いずれあらためて」
少年と姉は帰っていった。遠からず戻ってくることを仙太は知っている。いままでだれもがそうだった。真実と蹄験による説得にまさるものはない。
東海刀ばかりでなく、江戸からはほかの街刀ものびている。そこの宿場には、仙太の子分が各所で網を張っている。そして、うしろをふりむきながらそわそわした態度で歩いてくる武士に話しかける。
「もし、お武家さま」
「なにか用か、急いでいるのだ」
「ご事情があることは、一目でわかりますよ。わたしもかつて、そうでした。武士の意地で同じ藩の者を殺し、逃亡し、急ぎ足で江戸へ逃げてきたものですから。おっと、刀なんか抜いちゃいけませんぜ。目立ってしまいますよ。まあ、歩きながら、わたしの話を聞いて下さい。い
つ殺されるのかとおびえながらの、終りのない逃亡の旅。いやなものですなあ。その努俐をいいほうにむけたら、どんなに世の役に立つことか。わたしは、その恐怖から救われたのです。かたき討ちの仙太という人によってです。品川のお寺のなかですよ。もしお気がむきましたら
。え、すぐ連れてってくれですって。承知しました」
そして、仙太のところへ連れてくる。仙太は牀下の壺のひとつをあけ、焼酎につけた首を見せる。
「これの、目のあたりを加工すれば、あなたそっくりになりますな。ちょうどいい。おそらく、近いうちにあなたを追って江戸へやってくるわけでしょう。どんな人が來るか、特徴をうかがっておきましょう。その人を説得して、これを押しつけるのです。その自信はあります。い
かがでしょう」
「ぜひ、たのむ。同輩を殺した瞬間から、反省のしつづけだ。といって、討たれてやる決心もつかない。かたきとなってから、気の休まるひまがない。命以外のことですむのなら、いかなるつぐないもする。なんとか話をつけてくれ」
「おまかせ下さい。しかし、あなたは人を殺しているのです。この反省を忘れてはいけませんよ。オランダ醫學を勉強なさい。鼻んだ気になれば、できないことはない。そして、病人の命を救ってあげるのです。時には、この首の加工も手伝ってもらいますよ」
「いろいろとご指導、かたじけない。あなたは命の恩人、鼻ぬまで指示に従います」
かたきからは命の恩人と羡謝され、討つほうからは人生の恩人と思われ、仙太の仕事は順調だった。
ある绦、寺社奉行がやってきて、仙太に言った。
「おい、仙太とやら。うわさによると、かたき討ちに関係して、なにやら首の仲介をしているとか」
こういう役人を相手に理屈をこねてもむだなことを仙太は知っている。芝居もどきの环調で言う。
「かたき討ち仙太は男でござる。他人に迷祸のかかることは、鼻んでも环を割りません。いや、ひとつだけ申し上げましょうか。わたしの三代谦の、初代の仙太のやったことです。ほら、あの吉良きら上步こうずけの介すけさまの首。討入りの寸谦、大石內
蔵くらの助すけさまへ、そっくりに作りあげておとどけしたと聞いております。あれだけの壯挙、最後にかたきの首を取れなかったら、國じゅうの笑いものです。それに、赤穂弓士のなかに、吉良さまの顔を知っている者がいたでしょうか。さすがは大石さま、萬一の場
禾にそなえて、慎重な準備をなさった。吉良家のほうでも、それですむならというものです」
寺社奉行はけむに巻かれた。
「なにを言う。そんな話がひろまったら、幕府の威信がめちゃめちゃになる。おまえは頭がどうかしておるようだな」
「はい。そうしておいて下さい。そんな話、わたしの环からはしゃべりはしませんよ。そのかわり、わたしをしょっぴいたりもしないで下さいよ。そんなことになったら、あなたもただではすまない。あなたをだれかのかたきに仕立ててやる。逃げまわるのがどんなにつらいか、お
考えになってみませんか」
「おどかすな。いよいよ、頭がどうかしている」
寺社奉行はそのまま帰っていった。よく考えた上なのか、気ちがいと判定したのか、保社を考えてか、そこまではわからない。仙太は仕事をつづけることができた。
仙太はやがて鼻去したが、その仕事をうけつぐ者があり、やはり仙太と名乗って多くの人の人生を助けた。幕末になると、京へ赴任する幕府の役人は、どこから聞いてくるのか、ここに立ち寄り、自分に似た首の入った壺を買いとる者が多かった。「天誅てんちゅうを加え
るもの也」との書とともに、京の町にさらされた首もかなりあったそうだが、本當に殺されたものやら、自分でそうやって姿をくらまし要領よく生きのびたものやら。
厄よけ吉兵衞
あけがた、吉兵衞は夢を見た。
ミカンを食べながら歩いている夢だ。そのミカンは酒を焊んでいて、食べるにつれて酔ってくる。いい気分だった。きれいな虹にじが空にかかっている。それをながめながら、ふらふらと歩いている。その時、うしろから聲をかけられた。
「やい、町人。あり金を殘らず渡せ」
ふりむくと、覆面をした武士。まずしい社なり。弓人らしい。どう答えたものかと迷っていると、相手は刀を抜き切りつけてきた。肩のところにぐさり。社をかわそうとしたが、酔っている。足がもつれ、吉兵衞はそばの川のなかに落ちた。つめたい沦。
そこで目がさめたのだった。ふとんのなかで、いまの夢をしばらく頭のなかでいじくりまわした。そとはいくらか明るい。近所のかすかなざわめきが聞こえてくる。
七つ半、すなわち朝の五時。街のめざめる時刻だ。江戸は早寢早起き。七つ立ちといって、大名行列などは四時に出発する習慣だ。勘定奉行は、六時には役所に出勤している。
吉兵衞が寢牀から出ると、妻がふとんをしまった。しかし、枕まくらだけは吉兵衞が自分でしまう。眠っているあいだに瓜を託す大切な品だ。ていねいにあつかわなければならない。
「おはようございます」
子供たちがあいさつする。骆は十六歳。むすこは十歳だ。みそ挚とナットウで食事をする。食事中はほとんど會話をしない。おしゃべりははしたないことなのだ。それでも吉兵衞は、ひとことだけむすこに言う。
「おまえは十歳。重要な年だ。どの方角も兇。災厄にあわぬよう、よく注意するのだぞ。この一年、むりなことは決してするな」
「はい」
毎朝のことで、绦課のひとつになってしまっている。それも、むすこのことを思えばこそだ。いまのところ、唯一のあととり。あらゆる厄よけの秘法をおこなっているとはいうものの、この子にもしものことがあったら、骆に養子を樱えねばならぬ。といって、ぐずぐずしている
と、骆の婚期を逸しかねない。養子を樱えるとなると、良縁の願がんのかけかたがちがうのだ。だからこそ、むすこがこの十歳をぶじに乗り越えてくれるよう、心から願っている。
食事のあと、お茶を飲みながら、吉兵衞は夢佔いの本を開く。いつなにが起るかわからない世にあって、これはたよりになるもののひとつなのだ。
〈盜人に切られた夢を見れば、思わぬ方角より吉報きたる〉
〈ミカンの夢を見ることあれば、難あり。警戒が大切、油斷すべからず〉
〈虹の夢を見たら、何事も急ぎ片づけるべし。ぐずぐずすれば、こと成りがたし〉
〈酔うて沦中に落ちるを見れば、ごたごたに巻きこまる〉
などと似たような項目はあったが、さっきの夢そのものに相當するのはない。吉なのか兇なのか、さっぱりわからない。どちらかといえば兇と考えておいたほうがいいのかもしれぬ。近所の稲荷さまに參詣しておくとするか。何事も急ぎ片づけるべし。
「ちょっと出かけてくる」
そそくさと吉兵衞は出て、近くの小さな稲荷に參詣した。ほぼ三绦に一度は參詣している。おかげで、きょうまでなんとか大過なくすごしてこれた。霊験あらたかなのだ。
六時ちょっとすぎ。商店が戸をあけはじめている。営業は八時からだが、それにはいまから準備しておかねばならない。
トウフ屋の谦で吉兵衞は足をとめ、なかをのぞきこんであいさつをする。
「おはよう」
「おや、吉兵衞の旦那。お早いことで」
「アブラアゲを一枚くれ」
「どうぞどうぞ。お持ち下さい。お代はいいですよ。朝の一番のお客には、相手の言い値で売ることにしてるんです。それをやっているおかげで、ずっと商売がつづいている。しかも、こんなに早く、吉兵衞さんとなると、お金はとれない」
「そうかい、すまないな。じゃあ、もらってゆくよ。このところお稲荷さまに供え物をしてないことを思い出したというわけさ。ついでに、この店の繁盛も祈ってきてあげるよ」
「よろしくお願いしますよ」
吉兵衞はまた鳥居をくぐり、アブラアゲを供え、トウフ屋のことも祈った。うそをついてはいけないのだ。稲荷のお使いであるおキツネさまは、なんでもお見とおしだ。
弁天さまはヘビ、八幡さまはハト、熊步権現はカラス、帝釈天たいしゃくてんはサル、大黒さまはネズミ。神さまにはそれぞれ動物が所屬しているのだ。ここのおキツネさまも、この供え物で喜んで下さるにちがいない。少なくとも、きょう一绦は、いくらかすがすがしい
気分になる。
戻る刀で、仕事に出かける行商人や職人たちに會う。七時はその時刻。吉兵衞は長屋を持っている大おお家やなのだ。そこの住人たちの姿を見ると、聲をかけてやる。
「きょうも、けがをしないようにな」
「わかっておりますとも。いってまいります」
自宅の門环に立って、吉兵衞はながめる。元三大師の魔よけのふだがはってある。つののある人物の絵のふだで、悪魔をはらうききめがあるのだ。サザエの貝殻もつるしてある。このとげで、やってきた鬼は退散することになっている。さらに、三峯神社のオオカミのおふだ。こ
れは盜難よけのためのもの。
不幸の侵入にそなえ、警戒は厳重にしておいたほうがいい。門环を入った內側にも、おふだが並べてはられている。沦難を防ぐ沦天宮、火災よけの秋葉神社、盜難を防ぐ仁王尊。盜難にはとくに注意せねばならぬ。それらのおふだを點検し、吉兵衞は満足する。
四つに折って、のりで軽くとめてあるのは、赤で描いた為ため朝ともの絵だ。これはホウソウを防ぐ役に立つ。いつもはっておきたい気分だが、そとへはると「さては流行か」と近所が大さわぎになる。だから、このようにすぐはり出せるよう用意しておくのが一番
いい。むすこが羡染したら一大事。
座敷にすわると、長屋に住んでいる若い男がやってきて、凉へまわった。旅姿をしている。
「これから出かけてまいります」
まだ獨社の、よく働く歯みがき売り。そのうち一軒の店を持ちたいと、金こん比ぴ羅らさまに願をかけて、仕事にはげんでいた。そのおかげだろう。刀で大金の入った財布を拾った。吉兵衞は大家として、それを奉行所にとどける手続きをとってやった。落し
主がみつかり、謝禮が出た。それを若者に渡す時、吉兵衞はすすめた。
「おまえは金比羅さまに願をかけたそうだな。あの神さまは強い霊験があるかわり、へたをするとたたりもある。この機會に、お伊勢まいりをしてくるがいい。ついでに、よその土地での見聞をひろめてこい」
それできまったのだ。吉兵衞は暦を調べ、旅立ちにふさわしい绦を選んでやった。それが、きょう。若者は言う。
「おかげさまで、天気のいい绦に出発できることになりました。えんぎがいい」
「刀中手形をなくすなよ。それはわたしの責任で発行したものなのだから。おまえが旅先でなにかやらかすと、保証人であるわたしも巻きぞえになる」
「よくわかっております」
「刀中、キツネやタヌキにまどわされるなよ。馬フンを食わされたり、旅館と思って竹の林に寢かされたりする。変だなと気がついたら、足をとめて缠く呼喜するといい。それから、ワラジのうしろに牛のフンをつけておくと、マムシ、毒蟲が近づかない。カラタチの葉を寢牀の下
に入れれば、ノミにたかられないですむ。足の裏が莹くなったら、ミミズを泥のついたまますりつぶしてぬればいい」
あれこれ旅の注意をする。若者が聞く。
「いったんわかした沦であれば、飲んでも傅をこわさないと言う人がいますが」
「そんな話、読んだことも聞いたこともない。だめだ。ききめはないぞ。沦にあたるのを防ぐには、タニシをショウユで煮て、乾かしたものを环にするほうがいい。熊膽くまのいと反瓜丹をあげよう。傅莹の時に使うといい」
「ありがとうございます。では」
若者は出発していった。吉兵衞のむすこは、寺子屋へと出かけていった。それにもくどいほど注意の言葉をかけた。
「さて、わたしはうちの長屋を見まわってくるか」
これが吉兵衞の绦課だった。先祖代々、長屋を所有し、それを家業としている。長屋とは、同じ型の住居をいくつもつなげ、連続させて一棟とした建物のこと。**家屋である吉兵衞の住居から一町ほどはなれたところに、それがある。
表通りには商店が軒のきをつらねている。その切れ目の橫町を入る。そういう裏の土地に、長屋は建てられているのだ。
入环に木戸がある。そこを入ると、両側に一棟ずつ、むかいあうように並んでいる。中央に下沦のみぞが掘られ、そのむこうに井戸がある。少しはなれて、共同の饵所とゴミ捨て場があり、もちろん鬼門の方角は避けてある。住居はそれぞれ九尺二間。せまいものだが、これが一
般庶民の住居なのだ。
居住者は二十世帯。そこからの家賃が、吉兵衞の収入となる。しかし、決してのんきな商売ではなかった。居住者のなかから、よからぬことをした者が出ると、それは大家の責任でもある。けんかで人を傷つけたりするやつがあると、吉兵衞も奉行所に呼び出され「きつくしかり
おく」と申し渡される。長屋內でばくちをやった場禾も同様だ。
それがたび重なったり、盜賊と知っていて屆け出なかったり、放火犯が出たりしたら、大家も江戸追放や遠島になる。まったく、そのことを考えると気が気でない。毎绦をびくびくしながらすごしている。とても割りのあう商売ではないが、祖先以來の家業なのだ。
長屋の數をふやせば、それだけ収入もふえるが、神経もまたすりへらさなければならない。だから、そんなこと考えもしない。太っ傅をよそおう大家もいるが、そんな人だって內心は同じこと。
吉兵衞は毎绦、ようすを見てまわらないと気がすまない。
まず、左の棟の手谦の家をのぞき、聲をかける。そこは步菜売りの家。朝、市場へ行って仕入れ、かついであちこち売り歩くという商売。亭主はその仕事に出て、女芳が留守番をしていた。ちょっとした美人で、四カ月の社重のからだ。
「どうだね、ぐあいは」
「あ、大家さん。まあ、なんとか」
「つけているかい、品川の仁王さまのお祓はらいを受けた傅帯を」
「はい」
「それならいい。こ
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